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2014年4月18日 (金)

■看取るということ

父の死から3週間

まだまだ手続きやら葬儀屋さんとのことや

四十九日の法要の準備に追われています

それでも父の死が実感できないでいる私が

ココにいます




父の看取りは20日間

何も食べず飲めずになってから

2か月位でした

延命処置をせずに平穏死を選び

看取りに入りました




看取りとは

延命処置をしないとは

点滴もせずにただ”死”を待つこと

薬も一切使わず自然のままで

最期を迎えることでした




父の場合は

ホスピタルや医療療養型施設は胃瘻をつけないと

入所は出来ないと言われ

老健での看取りでしたので少量の水分補給の点滴で

体が受け付けるまで過ごすことになりました




病院から老健に移った時は笑顔があり

看護師さんやスタッフの方にも受け答えが出来て

とても看取りとは言えないような状態でした

私自身もまた奇跡が起こるのではないか?

そんな気持ちがありました




しかし




そんな状態は続きませんでした

とにかく食べられないのですから

日に日に弱り痩せていきました

脳梗塞も起こしていたので言葉も出ません

それよりも数分おきに激痛を訴え

必死で母や私にしがみ付いていました

痛み止めを使ってほしいとお願いしましたが

心不全も起こしていたので痛み止めで

死を早め苦しめてしまう可能性が大きいと言われ

お薬がない時代の”手当て”である

手を当て擦ることしか出来ず

父も私たち家族も泣きながら必死で闘いました





毎日欠かさず父の傍にいましたが

正直行くことさえ辛い日も多々ありました

痛み苦しむ父を見ていることしか出来ない

こんなに苦しく辛いことはありませんでした

老健の駐車場で大泣きした日も多々ありました

痛み苦しむ父の背中を擦ると

何も食べず飲めずの父のお腹が鳴る

体が要求してるのに脳が食べる事を拒否してる

この時涙が止まりませんでした

胃瘻を付けないことでこうなったのか?

自分を責めた日もありました




そんな日が続く中でも

父は私たちを待っていました

行くと一度は微笑んで安心して

眠りについていました


痛み苦しんでも私たちがいるときは

ちゃんと痛みを訴えていましたが

私たちがいない時は一人で必死で耐える

そんな父の姿を看護師さんが何度も見ていたと

後から聞きましたが・・・




最期まで人に気を遣うなんて父らしい




色々な平穏死の本を読みましたが

とても父の死は平穏とは言えませんでした

医師も看護師さんも持って一週間だと

私たちもそう思っていました

悔いなくしたい思いが強く午前中から夜まで

時間が許す限り父の傍にいることを決めて

私は仕事も控えて子供たちには言い聞かせ

老健に通いましたが日に日に父の痛み方は

増すばかりになりで高熱を出す日も出てきて

呼吸もやっとになり痰吸引の回数も増え

涙を流す父の姿を見ながら何度も部屋を出て

ロビーで泣いていました




帰りに車に乗ると母が

「もう長くないはね・・・」

そう言う母に私は泣きながら大声で言いました

「そんな言葉言うな!見てる私が一番わかってる!」

それから母は一切その言葉を言わなくなりましたが

病院にいるときから何度も何度も言われ

思っていても口に出してほしくはなかったのです

例え思っていても自分の心で受け入れていくこと

そうしてほしかったのです




父は母の気性も良くわかっていたので

母に私がその日の気分で怒られ泣いていると

そっと気づいて傍に来て頭を撫でてくれていました

母と私の喧嘩も良く知っていますから心配だったと

そう思いましたので最期の三日前位から意識が薄れながらも

頑張っている姿が痛々しくて父の手を握りながら

「心配しなくて良いからね!ばあちゃんと仲良くするから!」

そう伝えると涙を浮かべてうなずいていました



そして




夫婦として苦労を共にしてきた母の姿を目で一生懸命追う

父の姿が頻繁にあったので

「母ちゃん愛してるの?」と父に聞きました

そしたら父は母の顔をじっと見つめてうなずいていました

母はその時に信じられない顔していましたが

私がいない時に父に同じことを聞いたら同じように

涙を浮かべてうなずいてくれたと涙を流していました



夫婦になり50年以上

その言葉で全てのわだかまりが消えたと思いました

母はその日から変わりました

私の仕事が終わってからでは遅いからと

一人で老健に行きずっと傍にいたいと

自ら言い出しました

夫婦寄り添い合いながら互いに涙を流し

痛みを共に感じ苦しむ姿は美しいとさえ思える

光景でした




父が亡くなる前々日から39度の高熱

そして胆汁を吐き続けました

尿も一切出なくなりました

ここで私は父の死は近いと感じ

老健に二往復しました

老健に許可を頂き在宅介護していた時と同じように

父のベッドに添い寝をしました

父が亡くなる前日は

とにかく父が頑張る姿を見ていられなくて

「パパもう頑張らなくて良いよ 心配しなくて大丈夫だよ」

手を握り頭を撫でながら言いました

その言葉が届いたかのように翌日の朝父は永眠致しました





看取るということ

それはかなり覚悟が必要だと思いました

心身ともに厳しいと思いました

本のようにはいきません




ただ言えることは

看取りに入ったと受け入れることは

とても大切で共に過ごせる時間を

大切に出来ると思います

嫌でも葬儀の見積もりや希望を伝え

段取りが出来たことも後から思うと

助かりました

今国は在宅看取りと言いますがサポートも

整っていないですし

最低でも交代出来る家族が2-3人は必要

病院ではよほど良心的なところ以外では

看取りはしません

今は特養でも看取りの介護を始めましたが

ぶっちゃけ現場は医師もいないので

看護師さんとスタッフだけです

ですから家族への負担が多いようです





「お金がないから私一人で看取ります」

そんな方を病院で何人も拝見致しましたが

その方たちの顔は疲れ切って苛立っていました

でも

それが今の日本だとも思いました

お金があれば数千万の有料老人ホームも

利用できるでしょうが年金暮らしでは

特老の入所も出来ないのが現実です

プライバシーが・・・なんてことで

殆どが個室になってしまった特養に老健

それは利用料が高くなるということ

そして介護度が高くなればなるほど

料金が増えていきます

酷いところでは徘徊する方お断りです




父も老健の費用は月25万円以上でした

普通なら持家でしょうから何とかでしょうが

実兄のせいで200坪以上の家を失ったので

そこに家賃が加わりますので毎月マイナス

入退院を繰り返せばその費用もプラスされ

年金全てを父にかかった月もありました




高齢化社会

これからがピークです




母親が働けないからと

保育園を増やすことばかり考える日本ですが

介護で働けない人はどうしますか?

特養の待機者が多くなるばかりです

家族がいる家庭は後回しです

働かないで介護しなさいということです

冷たいですよね



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現在

”看取り師”という職業がありますが

それだけ看取りが大変だということを

象徴したような職業だと私は思います




看取りの介護に入ってから

眠ることさえ怖い日が続きました

布団の横にはすぐに着替えられるよう

洋服を用意していました

眠るときはスマホを握り締め眠る日が続きました

父の顔を思い出しては泣いていた日々でもありました

父のお腹が鳴るのを聞いてから

食事を取ることへの罪悪感との闘いもありました


悔いを残すまいと必死でしたが

悔いは残りました

今 やっとパパは痛みから解放され

楽になったと思います

パパがいないのに

徘徊でカギをガチャガチャする音が聞こえる

そんなような気がします

ふと一人になった時涙が溢れ出す日は

ふんわりと温かさを感じます

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